こんにちは、みなみです。
わたしはブログをはじめてからたまに思うことがあります。
それは「母にもやらせてあげたかったなぁ」ということ。(笑)
母は16年前(2006年)70歳のときに他界しました。
文章を書くのがとても好きな母でした。
どちらかというと対面のコミュニケーションは苦手で、文章は唯一自分を表現できる手段のように思っていたかもしれません。
少なくともわたしには、文章を書いてるときの母はイキイキしてるようにみえました。
母にブログをやらせてあげたかった話
たとえば、ラジオ番組のお便りコーナーや地域新聞のコラムなど、母の書いた文章はよく採用されていました。(笑)
文章が好きだった
とくにラジオ番組では、採用されると図書券をくれるので、わたしはしょっちゅうもらっていました。(笑)

あと手紙もよくもらいました。
すぐ近く(となりの駅)に住んでるんですけどね。(笑)
まぁ、それだけ書くのが好きだったってことです。
当時はインターネットこそ普及していたものの、ブログは今ほど一般的ではありませんでした。
ましてや70歳の母にはまったく無縁の世界です。
まぁ、ようやくメールを覚えたくらいですかね。
ちょうどそのころ「Lモード」ってサービスがあり、家庭用電話機でメールすることを覚え、わたしによく送ってきました。(笑)
発信の障壁
そんな感じで、母はよく文章を書いていたんですが。。
ラジオ番組や手紙やメールって「相手」がいますよね?
だから今と違って、発信の障壁がそれなりに高かったんです。
今ならブログとして、いつでも気軽にひとりで投稿することができます。
しかも、カタチとしては全世界に発信してるわけですから。。

可能性は大きくひろがり発信の障壁も低いです。
ここが今と昔の決定的な違いだと思うんです。
コミュニケーションのパターン
母はずっと専業主婦だったので、あんまり外の世界を知りません。
少しは交友関係もあり、友だちと一緒に出かけたり、おしゃべりしたりすることは好きでした。
ただ、長く続かないんですよね。(汗)
。。なんて言葉をわたしはよく聞きました。(苦笑)
はじめは楽しくコミュニケーションするし、決して人間ギライなわけではないんです。(むしろ逆だと思う)
でも、そのうち相手のイヤな部分がみえてきて、自分も傷つく。

そして、関係性に距離をおくようになるんです。
わたしには、ずっとそれをくり返しているようにみえました。(苦笑)
うちの父は定年後もしばらく働いていました。
子どもはすでに家を出てるので、母は昼間ひとりで家にいることが多かったです。
おそらく、その時間はとても長く感じていたと思います。
それだけさみしかったんですよ。
なぜなら、その時間わたしによくメールを送ってきたからです。(苦笑)
なぜそうなるのか?
交友関係が長く続かない母に足りなかったことは?
今となれば、答えはハッキリわかります。
まず本質的な答えは「脳の観点」の問題を知らないこと。
これは母に限らず人間共通のもっとも根深い問題です。
ただ、そのことについては今回は割愛します。(笑)
もうひとつ、現実的な答えは「発信の軸」がなかったことです。
発信の軸をもつ
母には発信の軸がありませんでした。
ラジオ番組への投稿や手紙やメールは「軸」とは言えません。
その点、ブログは立派な発信の軸になります。

自分の書いた文章がどんどん資産になり、新たな出会いをつくります。
そして、そこから派生して、いろんな可能性がひろがっていく。
本質に近いというか、理にかなってるというか。。
文章が好きな母にとっては、とにかく心が安定しやすいはずです。
発信が生きがいになる
おそらく今もまだ母が生きていて、わたしがブログを勧めたとしてもイヤがると思います。(笑)
そもそもパソコンはむずかしいし、スマホの画面は小さすぎる。
とは言え、ブログを書ける程度の高齢者向けデバイスって探せばあると思うんですよね。
もしなかったとしてもやり方はなんとでもなります。
なんせ母はメールでさえ当初はむずかしかったものの、結果的にはハマってたので。。(笑)
一度、その味を覚えたら毎日のように発信するはず。
ブログが生きがいになってる母の姿がわたしにはみえます。
もし、そうなっていたら、今もまだ生きていたかもしれません。
それくらい発信の軸って重要ですよ。
さいごに
じつは、きょう4月19日は母の命日です。
たまに忘れる年もありますけど(笑)
今年はちょうどいいタイミングで思い出したので、ブログにまとめてみました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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