自分で決められない。選択できない。意思決定に自信がないのはなぜか?

自分で決められない。選択できない。意思決定に自信がないのはなぜか?

こんにちは、みなみです。

生きることは「選択」の連続です。

現代はたくさんの情報(選択肢)であふれ、その情報の海の中で人びとは「選択」に悩んでいます。

どこに就職しようか?
会社をやめて独立するか?
この人と結婚してよいのかな?

といった人生の岐路になるような大きな選択から。。

今晩なにを食べようか?

といった日常の小さな選択まで、さまざまです。

大きな選択になればなるほど、また選択肢が増えれば増えるほど、その中から1つを決めることはむずかしいです。

今回は「選択」というキーワードから、ひとり一人の人生を大きく左右する「意思決定」について深掘りしてみました。

自分で決められないのはなぜか?

まず結論から言いますと、自分で決められない(選択できない)のは決めたことがないからです。

人間はみな、自分の意思でさまざまな選択をしていると思ってますが、じつは本当の意味ではなにも選択したことがありません。

判断基準はどこからくる?

人がなにかを決めるには「判断基準」が必要です。

判断基準はYes/Noを決める基準で、これがなければ人はなにも行動できなくなります。

判断している人のイラスト

たとえば、今このブログを読んでるあなたも、なにかしらの判断基準があって「読む」ことを「Yes」と判断したはず。

判断基準はみんな持っています。

自分で決めた人はいない

しかし、その判断基準を自分で決めたという人はひとりもいません。

うまれたての赤ちゃんの脳は未熟なので、判断基準はうまれ育った環境(おもに親)の価値基準に100%影響を受けます。

つまり、人間は100%受け身な存在だということ。

これはごくごく当たり前の話ですが、とても重要なポイントです。

集団の影響をかならず受ける

個人の判断基準は、かならず集団の判断基準の影響を受けます。

うまれ育った環境(集団)の価値基準にそって。。

「A」だったら「Yes」
「B」だったら「No」

といったように。。

あらかじめ条件づけられた範囲内での、いわば「機械的条件反射」をみずからの選択だと思い込んでるだけなんです。

結論
人間は本当の意味での選択(意思決定)を一度もしたことはない。

個人よりも強い集団の観点

nTech(認識技術)では「判断基準」のことを「観点」とも呼びます。

わたしたち人間ひとり一人のもっとも中心にあるのは、個人の観点ではなく、集団の観点です。

個人の観点は「うまれ育った家庭」という集団の観点によってつくられます。

そして、その観点はさらに「日本人」という集団の観点によってつくられています。

さらには「人間」の観点「生命」の観点「存在」の観点 と、観点のルーツをたどり中心になればなるほど強烈になります。

観点の階層図

つまり、人間にとって、もっとも強烈に固定されてる観点はわたしは存在している」→「Yes」という絶大なる思い込みです。

補足
正確に言うと、存在の観点とは、物質、光、エネルギーなど、より細かい観点に分けられますが、ここでは「存在」を強調したかったので、そのように表現しています。

観点とはあらかじめ決められた選択肢

人間はうまれてから死ぬまで(正確には死んだ後も)観点の外に出ることはありません。

観点に気づくこともなく、観点の中で、あらかじめ決められた選択をくり返すんです。

たとえば、車の運転手は自分でハンドルをにぎり、左右の方向を自由に選択してると思いやすいです。

車を運転する人のイラスト

しかし、それはすでにつくられてる道があるからこそであり、道がなければ車は運転できません。

つまり、道によって選択できる方向があらかじめ決まってるということ。

人間の脳の認識もこれとまったく同じなんです。

脳の認識のクセ

脳にはつぎのような特徴(認識のクセ)があります。

脳の認識のクセ
  • 部分だけをとる(全体はとれない)
  • 違いだけをとる(共通はとれない)
  • 過去とつなげてとる(今ここはとれない)
  • 有限化してとる(無限はとれない)

脳の認識のクセは人間共通の観点です。

すでにつくられてる道(観点)によって、あらかじめ決められた「部分の存在」の「部分の変化」しか選択できないのが5感覚と脳の仕組みです。

意思決定を進化させるためには?

本当の意味での選択(意思決定)とは、観点(道)を自由自在に創造することです。

そのためには、5感覚と脳の観点の外に出て、観点を観察できるポジションに移動できなければなりません。

そのための技術が、nTech(認識技術)です。

当たり前を否定する観点

5感覚と脳の観点とは、言いかえれば錯覚の現実世界です。

人間は5感覚と脳がみせる錯覚(夢)の中で生きています。

そのため、この現実が夢であることに気づくことはできません。

自分と自分がみているこの現実は(錯覚として)存在はしているけど、実在はしていません。

実在するのは、源泉的なひとつの動きだけです。

錯覚については「真実と錯覚(現実・事実・思い込み)の定義」として、こちらの記事にまとめています。

【nTechの理解】真実と錯覚(現実・事実・思い込み)の定義 【nTechの理解】真実と錯覚(現実・事実・思い込み)の定義

いずれにせよ、当たり前を当たり前だと思わない観点はとても重要です。

源泉的なひとつの動きこそが真実であり、そこには選択肢など存在してないんですから。。

まとめ

ここまでの話をまとめます。

  • 自分で決められないのは「決めたことがない」から。
  • 人間は本当の意味での選択(意思決定)を一度もしたことがない。
  • 人間は集団の判断基準(観点)の影響を100%受ける。
  • もっとも強烈な観点は「わたしは存在している」という思い込み。
  • 道(観点)によって、あらかじめ選択できる方向が決まっている。
  • 脳の認識のクセは、人間共通の観点。
  • 当たり前を否定する観点をもつこと。

以上、自分で決められないのはなぜか? 意思決定についての深掘りでした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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