こんにちは、みなみです。
生きることは「選択」の連続です。
現代はたくさんの情報(選択肢)であふれ、その情報の海の中で人びとは「選択」に悩んでいます。
会社をやめて独立するか?
この人と結婚してよいのかな?
といった人生の岐路になるような大きな選択から。。
といった日常の小さな選択まで、さまざまです。
大きな選択になればなるほど、また選択肢が増えれば増えるほど、その中から1つを決めることはむずかしいです。
今回は「選択」というキーワードから、ひとり一人の人生を大きく左右する「意思決定」について深掘りしてみました。
自分で決められないのはなぜか?
まず結論から言いますと、自分で決められない(選択できない)のは決めたことがないからです。
人間はみな、自分の意思でさまざまな選択をしていると思ってますが、じつは本当の意味ではなにも選択したことがありません。
判断基準はどこからくる?
人がなにかを決めるには「判断基準」が必要です。
判断基準はYes/Noを決める基準で、これがなければ人はなにも行動できなくなります。
![判断している人のイラスト](https://3733.jp/wp-content/uploads/2021/09/wakaremichi_man.png)
たとえば、今このブログを読んでるあなたも、なにかしらの判断基準があって「読む」ことを「Yes」と判断したはず。
判断基準はみんな持っています。
しかし、その判断基準を自分で決めたという人はひとりもいません。
うまれたての赤ちゃんの脳は未熟なので、判断基準はうまれ育った環境(おもに親)の価値基準に100%影響を受けます。
つまり、人間は100%受け身な存在だということ。
これはごくごく当たり前の話ですが、とても重要なポイントです。
個人の判断基準は、かならず集団の判断基準の影響を受けます。
うまれ育った環境(集団)の価値基準にそって。。
「B」だったら「No」
といったように。。
あらかじめ条件づけられた範囲内での、いわば「機械的条件反射」をみずからの選択だと思い込んでるだけなんです。
個人よりも強い集団の観点
nTech(認識技術)では「判断基準」のことを「観点」とも呼びます。
わたしたち人間ひとり一人のもっとも中心にあるのは、個人の観点ではなく、集団の観点です。
個人の観点は「うまれ育った家庭」という集団の観点によってつくられます。
そして、その観点はさらに「日本人」という集団の観点によってつくられています。
さらには「人間」の観点「生命」の観点「存在」の観点 と、観点のルーツをたどり中心になればなるほど強烈になります。
![観点の階層図](https://3733.jp/wp-content/uploads/2020/11/スクリーンショット-2020-11-07-162425-2.png)
つまり、人間にとって、もっとも強烈に固定されてる観点は「わたしは存在している」→「Yes」という絶大なる思い込みです。
観点とはあらかじめ決められた選択肢
人間はうまれてから死ぬまで(正確には死んだ後も)観点の外に出ることはありません。
観点に気づくこともなく、観点の中で、あらかじめ決められた選択をくり返すんです。
たとえば、車の運転手は自分でハンドルをにぎり、左右の方向を自由に選択してると思いやすいです。
![車を運転する人のイラスト](https://3733.jp/wp-content/uploads/2021/09/car_driver_inside_road.png)
しかし、それはすでにつくられてる道があるからこそであり、道がなければ車は運転できません。
つまり、道によって選択できる方向があらかじめ決まってるということ。
人間の脳の認識もこれとまったく同じなんです。
脳にはつぎのような特徴(認識のクセ)があります。
- 部分だけをとる(全体はとれない)
- 違いだけをとる(共通はとれない)
- 過去とつなげてとる(今ここはとれない)
- 有限化してとる(無限はとれない)
脳の認識のクセは人間共通の観点です。
すでにつくられてる道(観点)によって、あらかじめ決められた「部分の存在」の「部分の変化」しか選択できないのが5感覚と脳の仕組みです。
意思決定を進化させるためには?
本当の意味での選択(意思決定)とは、観点(道)を自由自在に創造することです。
そのためには、5感覚と脳の観点の外に出て、観点を観察できるポジションに移動できなければなりません。
そのための技術が、nTech(認識技術)です。
当たり前を否定する観点
5感覚と脳の観点とは、言いかえれば錯覚の現実世界です。
人間は5感覚と脳がみせる錯覚(夢)の中で生きています。
そのため、この現実が夢であることに気づくことはできません。
自分と自分がみているこの現実は(錯覚として)存在はしているけど、実在はしていません。
実在するのは、源泉的なひとつの動きだけです。
錯覚については「真実と錯覚(現実・事実・思い込み)の定義」として、こちらの記事にまとめています。
![【nTechの理解】真実と錯覚(現実・事実・思い込み)の定義](https://3733.jp/wp-content/uploads/2021/01/1609673_s-e1610890300636-300x173.jpg)
いずれにせよ、当たり前を当たり前だと思わない観点はとても重要です。
源泉的なひとつの動きこそが真実であり、そこには選択肢など存在してないんですから。。
まとめ
ここまでの話をまとめます。
- 自分で決められないのは「決めたことがない」から。
- 人間は本当の意味での選択(意思決定)を一度もしたことがない。
- 人間は集団の判断基準(観点)の影響を100%受ける。
- もっとも強烈な観点は「わたしは存在している」という思い込み。
- 道(観点)によって、あらかじめ選択できる方向が決まっている。
- 脳の認識のクセは、人間共通の観点。
- 当たり前を否定する観点をもつこと。
以上、自分で決められないのはなぜか? 意思決定についての深掘りでした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
![](https://3733.jp/wp-content/uploads/2021/05/3836883_s-e1622326092431-300x172.jpg)
![【nTechの理解】nTech(認識技術)の全体像](https://3733.jp/wp-content/uploads/2021/01/web-3706562_1920_1-e1610160840802-300x172.jpg)
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