バスで席を譲ったときの話【他者貢献の本質】

こんにちは、みなみです。

先日、息子(8歳)とバスに乗っていたら、おばあさんが前にきたので席を譲りました。

そのおばあさんは「あら、悪いわねえ」と言いつつ席に座り、別れ際にも深々とおじぎをしてお礼を言ってくれました。

そしたら息子が「パパ、席を譲るって気持ちいいね」と、うれしそうに言いました。

息子にとっては、はじめての経験で刺激的だったようです。(笑)

他者貢献の精神

たしかに、人を助けたり、親切にすると気持ちいいですよね?

わたしは息子のその言葉を聞いて。。

人間には他者貢献の精神が備わっている

と、あらためて思いました。

助けられることが前提の生きもの

人間は社会的な生きものなので、ひとりでは生きていけません。

他の動物と違って、人間の子どもは何年間も親の支えが必要になります。

赤ちゃん

つまり、人間はだれかに助けられることが前提の生きもので、だれかを助けたいと思うのも当然。

だから、人を助けるとうれしくなるんです。

すべての人間に備わっている「他者貢献の連鎖」が正しく広がれば、社会全体がよりよく成長できるのに、と思います。

純粋な他者貢献

他者貢献の精神はすばらしいと思うものの、その意識が強すぎると、つい見返りを求めてしまったり、自己犠牲をしてしまったり、本質からズレてしまうことがあります。

たとえば、そのおばあさんに「ありがとう」と言ってもらいたいから席を譲るとか。。自分も足が不自由なのに席を譲るとか。。

ちょっと違いますよね?

ホントの他者貢献は「見返り」や「自己犠牲」のない、もっと純粋な人間の本能だと、わたしは思います。

無心の状態

「自己」と「他者」の境界線をなくしたところから出発し、他人を幸せにすることで自分が幸せになり、自分が幸せになることで他人も幸せになる。

「表」と「裏」が重なった感覚がホントの他者貢献だと思うんです。

つまり、だれかを助けようとか、親切にしようという余計な「」が含まれていない無心の状態です。

純度100%の意志

とはいえ、たとえ余計な「色」が含まれてたとしても、なにもしないよりは良いのかもしれませんけどね。(笑)

あくまでも、ホントの他者貢献をつきつめると自他の線引きがなくなり、その精神が際立つと言いたいだけです。

それは、nTech(認識技術)風に言うと、ゼロでもない、無限大でもない、ゼロと無限大を生み出す「ひとつの動き」純度100%の意志そのものになることだと思いました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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