こんにちは、みなみです。
「お母さん」という存在は言うまでもなく、家庭のなかで重要な役割を担っています。
とくに子育ては、お母さんの心の状態がそのまま子どもに反映されると言っても過言ではなく、めちゃめちゃ重要です。
お母さんはいつも幸せで心が満たされてるのが理想です。
しかし、子育てにせよ夫婦関係にせよ、そんなに簡単なものではありません。
なぜか?
そこには、お母さん共通のアイデンティティが作用してると思ったんです。
お母さんの特殊性とは?
お母さんはどうしても自分を後回しにして、だれかの「お世話をする人」というアイデンティティが育ちやすいです。
自分を後回しにする地獄
いちばんわかりやすいのは子育てです。
キホン、いつも子どもに振りまわされるので、自分を後回しにせざるを得ません。
わたしは男なので、完全に立場チェンジすることはできないかもしれませんけど。。
じつは以前に長期間ベビーシッターをしたことがあり、少しはその過酷さと精神的なヤバさを体験しています。
泊りがけの研修で45日間、2人の子ども(1と2歳)のお世話をしたことがあり、そのときはホント地獄でした。(泣)
わたしが子どもをみてる間、お母さんたちは講義に集中できるものの、2人のうちの1人は我が子ではなく、朝から晩までずっと一緒だったのでホントに気が休まるのは就寝時間だけ。。
思い出したくもない、わたしの人生ワースト1の体験です。(苦笑)
自分がなくなる
長期間のベビーシッターはお母さん共通のアイデンティティと重なるところが多いです。
その過酷な状況をひと言で表現するなら「自分がなくなる」です。
コレ、人間にとって、ものすごく強烈なストレスなんですよ。(泣)
わたしが感じたポイントは以下の3つ。
- 自由がない
- 予想外のことばかり起こる
- まわりは子どもの心配ばかりする
① 自由がない
子どもは遠慮なく泣いたりわめいたりするので、自分の自由な時間はなくなります。
それにまだ1、2歳だと、なにをするかわからないので目を離すことができず、唯一、子どもが寝てるときだけ少し落ち着けるかなってくらいです。
完全に子どもが中心で、自分を後回しにせざるを得ない。
しかも、それがずーっと続くわけですよ。
45日間でさえ地獄だったのに、あれが何年も続いてたとしたら?
想像したくもありません。(怖)
② 予想外のことばかり起こる
1、2歳の子どもは我が子でさえ予測不可能なのに。。
ましてや、他人のお子さんともなればなおさらです。
たとえば、わたしがトイレに行ってる間に子どもがウンチをしたらしく、勝手に自分でオムツを脱いでウンチを触ってたことがありました。(驚)
しかも、その手を舐めてたんです。(驚)
ほかにも、お風呂のイスに座らせたとたんウンチをしたり(便座と間違えたみたい)ティッシュを無駄に取りまくって遊んだり、ふとんに鼻水をにじくってたり。。
とくに2歳の子どもはホントに!ホントに!やっかいでした。(泣)
あと毎朝、講義に参加するお母さんとの別れ際、この世の終わりかのような勢いで30分以上泣かれることも辛かったです。
つられて1歳の息子も泣いてしまうので、手のつけようがありません。(汗)
まぁ、これはベビーシッター特有の話ですけどね。
でも、このような小さなショックの積み重ねが大きなストレスへ変わっていく点はお母さんとも共通しています。
こういう話を聞いて「子どもだから仕方ない」で済ませられる人は想像力に欠けてると思います。
これらはほんのひと握りの話で、実際はここにあらわすことすらできない(表現不可能な)ささいな出来事が無数にあるからです。
それらをまわりの大人に話そうとしても伝わらず、逆に「かわいいね」といった反応ばかりされてしまうものなんです。
お母さんには言語化できない軽微なストレスがたくさんあります。
ゆえに、ふつうの人にはわかってもらえない特殊性があると、わたしは思いました。
③ まわりは子どもの心配ばかりする
今回、わたしがいちばん伝えたいのは、3つ目のポイントです。
たとえば、お母さんが子どもを抱っこしてる姿をみたら、ついつい子どもに目線がいきますよね?
子どもはかわいいし発するエネルギー(泣き声とか)もハンパないので、引っ張る力がすごいです。
だから、みんなの目線を簡単にうばってしまう。
わたしのときも、まわりの大人は全員、真っ先に子どもの心配をしてました。
子どもが研修所の環境に慣れることばかり気にして、お世話をしてるわたしの精神状態はだれも気にしてませんでした。(悲)
現にわたしが自分で危機感を覚え、スタッフに相談したときも。。
あ、そっちね(子どもの相談ではなく、あなたの相談なんですね)
と驚かれたくらいなので。。(泣)
ベビーシッターへのサポート体制がまったくなく、ホントにひどい環境でした。
いずれにせよ、子どもが第一で、お母さんのケアは二の次になってしまうものです。
アウトプットできる環境
お母さんは自分を後回しにし、まわりの大人は子どもの心配ばかりする。
これじゃあ「自分」という存在はどんどん消えていってしまいます。
ホントにわかってくれるのは、同じ境遇にいる「お母さん」だけだと思いました。
つらいときに、そういう人がまわりにいるのか/いないのか、この違いはすごく大きいです。
わたしのときは、気軽にアウトプットできる環境(サポート体制)がなかったものの、最終的にはかろうじてスタッフに相談することができました。
でも、これが一家庭で、もしだれも相談できる人がいない状況だったとしたら。。けっこう心配です。
少なくともお母さんには、なんでもアウトプットできる環境が必要です。
そして、その環境はお母さんになる前から整えておいたほうがいいと、わたしは思います。
なぜなら、一度、精神を病んでしまうとアウトプットすらできなくなってしまうからです。
可能性を育てる人
人間は「存在したい」という強烈なニーズをもっています。
それなのに「自分」をなくさざるを得ないお母さんのストレスは計り知れないものがあります。
まわりの家族が少しでも理解し、サポート体制をつくること。
少なくとも、アウトプットできる環境をつくっておくことは必須です。
つまり、子どもを育てると同時に、お母さん自身の「認識の変化」も育てる必要があるってことです。
「お世話をする人」から「可能性を育てる人」へ
お母さん共通のアイデンティティの変化をみんなでつくっていく必要があります。
まとめ
ここまでの話をまとめます。
- お母さんは「お世話をする人」というアイデンティティが育ちやすい。
- 自分を後回しにせざるを得ない。
- 自分がなくなってしまうポイント3つ
- 1)自由がない
- 2)予想外のことばかり起こる
- 3)まわりは子どもの心配ばかりする
- お母さんには言語化できないストレスがたくさんある。
- お母さん以外の人には、わかってもらえない特殊性。
- アウトプットできる環境は必須。
- 子どもを育てると同時にお母さん自身の「認識の変化」も育てる。
以上、お母さんの特殊性と自分がなくなる理由についてでした。
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