【前回の続き】オンライン授業で感じたこと。答えを探す教育から、問いを探す教育へ

オンライン授業で感じたこと

こんにちは、みなみです。

前回のコラムの続きです。

【夏休み延長】学校の授業より実践的な学びが必要だと思った話 【夏休み延長】学校の授業より実践的な学びが必要だと思った話

最近、息子(小学1年)は、9/12まで緊急事態宣言が延長されたこともあり、学校を休ませています。(他の生徒は全員登校してるみたい)

ただ、一部(午後のみ)オンライン授業はあるので、可能な範囲で午前中もオンラインで授業を受けさせてもらえることになりました。(ありがたい)

というわけで、今回は、息子のオンライン授業をみていて感じたことを書きます。

オンライン授業で感じたこと

パソコンは小学校から貸してもらえるので、ネットワークの設定をするだけで、授業はすぐ受けられる状態になりました。

子どもは素直

もちろん、息子にとっては、はじめてのオンライン授業です。

その姿をみていると、画面越しに「ハイ」って返事したり、手をあげたり、拍手したり、素直でとてもかわいいです。

手を挙げる子どものイラスト

わたし(大人)なら、音声ミュートしてる状態で「ハイ」なんて言わないし、ヘタしたら画面オフのまま参加するのに。。(笑)なんて思いながら、やっぱり、子どもの素直さって忘れちゃいけないよなぁと思いました。(笑)

ま、それはさておき。。

オフラインに比べてやりづらさは残るものの、最低限の情報は受け取れるし、交流できるだけでも充分だと思いました。

親以外の人との関係性

オンラインだと、親としては毎日が授業参観日のようで、いろいろと興味深いです。

学校の授業ってこんな感じだったよなぁ。。

という、なつかしさを感じたり。。

さすが先生、教え方がうまいなぁ。。

と関心したり。。いろいろ感じます。

ただ、前回のコラムからの続きで、わたしがいちばん感じたことは、やっぱり今の学校の価値って勉強以外のところにありそうだってことです。

つまり、勉強の内容そのものよりも(親以外の人との)人間関係を経験できることが一番の価値に思えたんです。

小学校のクラスの様子のイラスト

画面越しに様子をみていると、先生の表情や声のトーン、話の間合い、クラスの雰囲気など、生身の人間とのやりとりから受ける影響ってすごく大きいと思います。

プチ社会経験というか、家族以外の組織を経験できることはとても貴重です。

勉強はつまらない

ただ、それはそれで素晴らしい経験の場だと思うのですが。。やはり違和感は残ります。

だったら別に学校じゃなくてもいいじゃん。

という違和感です。

やっぱり学校なんだから勉強の内容そのものが価値にならないと、学校の存在意義ってないと思ったんです。

念のため
これは学校や先生の批判ではないのであしからず。。教育の構造的な問題なので、もっと根深いです。

はたして、今の子どもたちは、学校の勉強が好きなのか? 楽しんでるのか? もっと勉強したいって気持ちになってるのか?

結果は、ココにあらわれていると思います。

ちなみに、ウチの息子は「勉強はつまんない」と言っています。(笑)

もし、多くの子どもがウチの息子と同じだったなら(たぶん同じでしょう)、その時点で学校教育は失敗してますよね?

楽しければ人は勝手に勉強するし、多少、苦しいことがあっても、苦しいと思わずにがんばれるようになります。

それができていないから、ある程度の強制力を与えることで、少しづつ、成功体験を積ませることしかできないのではないか?

そんな風に、教育の限界を感じています。

”答え” ではなく ”問い” を探す

ウチの息子に勉強がつまらない理由を聞いてみました。

すると「むずかしいから」と返ってきます。

言いかえると、それは「答えがわからないから」ってことです。

そう。ここなんですよ。やっぱり!

学校教育って、構造上、どうしても「答え」を探す教育になってしまうんです。(評価する必要があるから)

先生の「問い」に対し、子どもが「答え」を探す。

この構図が崩れない限り、勉強はつまらないままでしょう。

つまり、勉強が楽しくなるためには、答えではなく「問い」を探す教育が必要だってこと。

「ああしよう」「こうしよう」「つぎはこうやってみたらどうかな?」と、試行錯誤してるときって、やっぱり楽しいですからね。

実践的な学びではないから、つまらないんです。

実践的な学び

実践的な学びをするためには「発信」が必要です。

そういう思いもあって、前回のコラム(Twitterの話)を書きました。

みずから「問い」を探し「発信」して「出会い」をくり返すこと。

ブレイクスルーし続けることが本来のあり方ですし、そうすることで自分なりの正解をみつけるほうが、社会に即した教育になってると思います。

答えを探す教育から、問いを探す教育へ。

学校教育のパラダイム転換が必要な時代です。

最後に

最後に、なぜ学校教育はパラダイム転換できないのか?

構造上の問題はもちろんありますけど、それ以前に、多くの人間(大人)が、もっとも根本にある「問い」をあきらめていることのほうが問題です。

人間とはなにか?
生きるとはなにか?
現実とはなにか?

本来の学校教育はこういった問いを無視できるはずはありません。

だって、もっとも根本なんだから。。そのポイントがブレていたらマズいですよね?

人間を育てるはずの親や先生が人間についてわかっていない。

それだけではなく、その問いを探す「意志」すらなくなっていることは大問題です。

わたしは、その大問題を引き起こしている「脳の認識」の問題に、すべての親や先生の意識が向かうべきだと思っています。

続きは、またの機会に。。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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