冗談(ジョーク)は紙一重だと思う話【外見イジり】

こんにちは、みなみです。

最近、ハリウッドスターのウィル・スミスが、アカデミー賞の授賞式でプレゼンターに平手打ちした件が話題になっています。

妻の外見へのジョークに対してとった彼の行動は正しかったのか? 賛否両論わかれているようです。

わたしはハリウッド映画にはあまり関心がなく、ウィル・スミスのこともよく知りません。(笑)

それにプレゼンターとの関係性やその場の雰囲気もわからないので、今回の件についてはなんとも言えません。

ただ、ひとつ言えるのは、冗談(ジョーク)は紙一重であるということ。

冗談にはリスクがある

人を笑わせるってすごいことだと思うんです。 

その場の空気を一気に変えられますからね。

センスがなければできないことですよ。

ただ、その笑いにはリスクがあり、今回のように相手の感情を逆撫でしてしまうこともあります。

とくに相手の外見をイジる冗談には相当のセンスが必要です。

外見イジり

たとえば、仲良い友だちと久しぶりに会ったときなど、親しみを込めて「あれ、ちょっと太ったんじゃない?」なんて言ってしまうときがあります。

さすがに女性に対しては気を遣いますけど、オトコ友だちには、つい気兼ねなく言ってしまいます。

でも、それって相手からしたら、一定の割合で気にする人はいると思うんです。

ちなみに、わたしが逆の立場だったらイヤな気分になります。(笑)

だから、外見をイジるメリットってキホンないと思うんですよ。

境目がわからない

個人的には、たとえプライベートでも外見イジりはしないほうがいいと思っています。

なぜか?

境目がわからなくなってしまうからです。

外見イジりが冗談として有効に働いてるうちはいいんですけど、イジりが次第に「イジメ」に変わってしまう瞬間ってあると思うんです。

その境目を見極めるのってむずかしいですよ。

自虐ネタと建前

とくに気をつけなければいけないのは「自虐ネタ」です。

世の中には、自分の外見を自虐的に話す人ってけっこういます。

そのほうがコミュニケーションが円滑になるので、わからなくもありません。

わたしも共感を得るために少しだけ意識することはあります。

でも、それってキホン建前なんですよね。

だから、その言葉を間に受けて一緒に外見イジりをしてしまうのはよくないです。

自分で外見をイジるのと、相手からイジられるのではまったく意味が違いますから。。

自分への執着

人間はみな、自分自身(身体)への執着がハンパないです。

だから、良くも悪くも外見にとらわれるのは当たり前。

自分の外見をバカにされることは、自分そのものをバカにされてるのと同じように感じるもの。

というわけで、冗談(ジョーク)と外見イジりは紙一重だというお話でした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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