こんにちは、みなみです。
小学1年生のムスコは、さいきん学校がつまらないようです。
さいきんと言っても、4月に通いだしてから、まだ2ヶ月半しか経ってないんですけどね。
ようやく登校班にも慣れてきたし、友だちとも仲良くなってきたものの、学校の授業はつまらないようで、いつも「行きたくない」とか「めんどくさい」とか言ってます。
ムスコは家の中では、けっこう自由にやらせてるので、その生活と比べると学校の授業はやはり窮屈みたいです。
この間なんかは、ホントに行きたくなかったようで、朝ダダをこねて泣いてました。
ムスコは体育がキライなので、プールとか、鉄棒とか、イヤなことを強いられるのがイヤみたいです。(苦笑)
そう。
学校って、やらなきゃいけないんですよね。
イヤなことでも。。
学校に行かせる?行かせない?
イヤなことを強いられるという点については、親として(というかわたしとして)は悩みどころです。
たとえば、ひどいイジメにあってるとか、そんなことじゃないんですよね。
だから、ぜんぜん気にせず、行かせてもいいレベルなんです。
でも、わたしは子どもの意志をいちばんに考えてやりたいし、なによりもイヤなことをがんばってやらなければいけないことに違和感を覚えるんです。
暗記教育の問題
日本人って「イヤなことをがんばってやる=エライ」みたいな風潮がありますよね。
たしかにエライとは思うんですけど、一方では、その結果、型にハマったロボットのような消費人間が量産されていると思うんです。
与えられた環境でがんばるのは当たり前かもしれないけど、それって心のあり方次第では、ただの奴隷のようになってしまうんですよね。
だれかに与えられるのではなく、みずから環境を変えるとか、環境をつくりだすっていう発想はどんどん消えてしまいます。
だって、あらかじめ決まってる答えを暗記するだけの教育ばかりしていたら、そうなりますよね。
生産的な発想がなくなるから、つまらないんです。
とは言え
とは言え、一概に学校が悪いとも言い切れません。
ときには暗記も必要だと思うし、とくに小学1~2年の勉強は、読み書きソロバン(ってもう言わないですよね)的な超基礎の内容なので、どこかで学んでおく必要はあります。
それにイヤなことをがんばって乗り越える達成感も大事ですよね。
ようするに、心のあり方なんですよ。
親も含めて、心のあり方がちゃんとしていれば、たいした問題ではなくなります。
やらせてみないとわからない
それに、子どもの意志をいちばんに考えると言っても、子どもに好き勝手やらせてしまったら、それは、子どもに依存しているのと同じです。
結局のところ、学校に行く/行かないの最終判断って、事実上、親のさじ加減ひとつで決まりますしね。
だから、親としての心のあり方が重要です。
実際、子どもの言う「好き/嫌い」ってあんまり信用できないんですよね。
その日はイヤと言ってても、つぎの日には好きになってることなんてしょっちゅうありますから。
だから、今のうちは多少イヤなことでも、しばらくやらせてみたほうがいいと思ってます。
理想的には
理想を言えば、行く/行かないではなく、もっと深い次元の教育をしたいです。
行く/行かないを自由にゲーム感覚で選択できるような状況をつくってあげたい。
行くのが正しいわけではなく、行かないのが正しいわけでもない。
それを自由に選択できる意志(アイデンティティ)を磨くような教育をしたいですね。
つまり、今の学校教育に足りない人間教育です。
人間とはなにか?
生きるとはなにか?
この現実とはなにか?
心のあり方を育てる教育のベースは間違いなくココにありますよ。
ベースがしっかりしていれば、学校に行く/行かないという因果から自由になれるはず。
だから、少なくとも家庭内においては、これらのことをしっかりと深めていきたいと思ってます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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