【消費するだけの人生ゲーム】子どもとゲームセンターへ行くたびに思うこと

こんにちは、みなみです。

先日、息子(6歳)と一緒に近くのショッピングモールへ遊びに行きました。

そこには大きなゲームセンターがあり、息子はいつもそこでゲームをしたがります。

それはまぁ、いいんですけど。。

わたしはどうしてもゲームに違和感を覚えるというか、あれほど不毛なものはないんじゃないかと思ってしまうんです。(苦笑)

消費するだけの人生ゲーム

なぜゲームに違和感を覚えるのかというと。。

ゲームをしてるときって、時間とお金がただ消費されていくだけのように思えてしまうんです。

コントロール不能な人生

しかも、ゲームって中毒性があるじゃないですか?

自分でコントロールできてるんなら、ぜんぜんオッケーなんですけど、自分でコントロールできてなければ、延々とゲームをくり返してしまいます。

ゲーム、ギャンブルに依存している人のイラスト

ま、これはゲームに限らず、YouTubeとか、ギャンブルとかでも同じことが言えますけどね。

ようは、ゲームが良い/悪いの話ではなく、自分でコントロールできてるのか/できてないのか、問題はそこになります。

この世がゲームだとしたら?

もし、この世の中がゲームだとしたら、ただ消費するだけの人生ゲームって、やっぱりつまらないと思うんです。

つまらないだけならまだしも、心はどんどん病んでいくはず。

なぜなら「消費」は「依存」と同じだからです。

”だれか” や ”なにか” に依存した人生は、ある意味ではとてもラクです。

でも、その分、自分をコントロールできなくなるため、主体的な発想はどんどんなくなり、不平不満ばかりの人生になっていくでしょう。

不平不満、文句ばかり言ってる人のイラスト

だって、自分でなにも生産しないわけですから、そうなっちゃうのは当然ですよね。

だから、消費するだけの(コントロール不能な)人生ってホント良くないよなぁって思うんです。

だれもがクリエイターになる人生

消費する人生よりも、生産する人生のほうがはるかに楽しいはずです。

消費は一時の楽しさしか味わえませんし、依存する対象がなくなってしまったら、それこそゲームオーバーです。

これからは、だれもがクリエイターになり、夢中で動ける ”なにか” をみつけることのほうが大事だと思うんです。

もちろん、その対象がゲームであってもOK。

ゲームを楽しんでる子どものイラスト

ようは、心のあり方(認識)がクリエイターになっていればいいんですから。。

学校教育の影響

本来なら、だれもがクリエイターであるはずなのに、なぜ消費するだけの人生になってしまうのか?

わたしは「学校教育」の影響が大きいと思っています。

答えを探す教育

今の学校教育をひと言であらわすと「答えを探す」教育です。

先生が質問して生徒が答える。(先生に言われてから動く状態)

この関係性が固定化している限り、クリエイターではなく、消費者をどんどん増やすことになるでしょう。

まぁ、学校教育の構造上、そうなってしまうのは仕方ないんですが。。

問いを探す教育

とは言え、やっぱり「答えを探す人生」よりも「問いを探す人生」のほうが楽しいです。

「ああしよう」「こうしよう」「こうしたらどうなるかな?」

試行錯誤してるときって楽しいですよね?(笑)

先生に言われる前に、勝手に動いてる状態をつくれたらいいのに。。なんてことを思います。

最後に

というわけで、息子とゲームセンターへ行くたびに、そんなことを思うのでコラムに書いてみました。(笑)

ちなみに、学校教育にからんだ記事はコチラにもあります。

ゲームは本当に悪いのか?【それより学校教育の方が問題】 ゲームは本当に悪いのか?【それより学校教育の方が問題】

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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