こんにちは、みなみです。
子どもがゲームばかりして困っているという話はよく聞きます。
ゲームに限らず、YouTubeも同じですけど、ああいったものってキホン飽きないんですよね。(苦笑)
うちの息子(6歳)も放っておけば延々とやっています。
もちろんゲームが一概に悪いとは言えませんけど、さすがに延々とやり続けられると親としては心配になります。
今回は、ゲームは本当に悪いのか? なぜゲームをやめられないのか? という問題の本質を深掘りしてみました。
ゲームは本当に悪いのか?
ゲームは本当に悪いんでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。
問題を深掘りする
多くの親(わたしも含め)は、ゲームそのものではなく、ゲームがやめられない状態に問題を感じていると思うんです。
たとえば、それによって「学校の宿題をやらない」とか「脳に与える影響は大丈夫か?」とか、そればっかりやってると、たしかに心配になります。
でも、よくよく考えたら、ゲームをやめられない状態ってホントに問題なんでしょうか?
それって、ゲームに夢中になってるってことですよね。
なにかに夢中になるって、むしろ良いことのような気もします。
それに学校の宿題って、そんなに大事なのか?
なぜ宿題には夢中になれないんでしょうか?
そんな風に深掘りしていくと、この問題の本質はゲームに夢中になることではなく、ゲーム以外の普段の日常がつまらないことにあるということがわかります。
日常がつまらない原因
子どもにとっての普段の日常は「家庭」と「学校」です。
わたしは日常をつまらなくさせている原因は、おもに2つあると思っています。
- 家庭内での親子関係
- 学校教育のあり方
① 家庭内での親子関係
家庭内の親子関係で大切なことは、親の価値観で子どもを制限しすぎないことです。
もちろんまったく制限しないわけにはいかないので、そこは臨機応変さが必要になるものの、忘れちゃいけないのは、子どもは親よりも進化した存在だということ。
時代は進化していますから、まちがいなく子どもは親の価値観の枠にハマらない存在です。
それなのに、親の古い価値観で子どもを制限してしまうと子どもはどんどんつまらなくなっていきます。
親が子どもを制限すればするほどゲームの世界の魅力は増していくでしょう。
② 学校教育のあり方
学校教育のあり方もかなり問題だと思っています。
はたして、今の小学生や中学生で「学ぶ=楽しい」と感じてる子ってどれくらいいるんでしょう?
おそらくかなり少数派だと思います。
なぜなら、今の学校教育は「答え」があらかじめ決まっている暗記教育だからです。
テストで評価するためには致し方ないのかもしれません。
でも、答えをただ暗記するだけってつまらないですよね?
先生に「問い」を与えられ「答え」をさがす教育よりも、自分で「問い」を立てて、たくさん失敗しながら自分なりの「答え」を見つけ出す教育の方が楽しいし、社会での生き方に即してると思うんです。
暗記教育とゲームを比較したら、自分で試行錯誤しながらチャレンジできるゲームの方がはるかに楽しいのは当然です。
ゲームよりも学校教育の方が問題
今の学校教育は暗記教育であり、”暗記” とは言いかえれば、”依存” です。
結果的に、だれかのつくった ”答え” を信じ、ただ暗記するだけの依存人間を量産しています。
一方、社会に出れば「答え」を教えてくれる人はおらず、むしろ「問い」を発見できる主体的な人材を求められるわけです。
学校が排出する人材と社会が求める人材がいまだに真逆であることは大きな問題です。
学校教育はホントに深刻な問題が多すぎますよね。
学校教育が真っ先に教えるべきこと
学校教育が本来、量産しなければならないのは「問い」を発見できる人材です。
どのようにして問題を解決するのか(問題解決能力)よりも、本当の問題はなにか(問題発見能力)の方がはるかに重要です。
なので、本来、学校教育が真っ先に教えるべきは。。
生きるとはなにか?
現実とはなにか?
という哲学的な問いをもつことなんです。
言ってみれば、これは究極の問いであり、人間としての根本です。
人間を育てるはずの親や教育者が人間についてわかっていなければギャグになりますから、教育の基本でこの問いを無視できるはずはないんです。
悟りは禅問答ではない
人間とはなにか? 生きるとはなにか? 現実とはなにか? という「究極の問い」が大事なのはわかる。
そんな声は聞こえてきそうです。
たしかにその気持ちはわかります。
「真理を悟ってる人なんていない」というのが、今までの一般常識でした。
でも、なぜそれを言い切れるんでしょう?
それこそ悟っていなければ、言い切れるはずありません。
今はもう「究極の問い」は禅問答ではないんです。
なぜなら、この問いに対する明確な答えを導く「技術」が日本に誕生しているから。。
それが、nTech(認識技術)です。
【nTechの理解】nTech(認識技術)の全体像悟りはゴールではなく、人間としてのスタートなんです。
子どもは悟っている
実際のところ、悟りのあり方レベルでは、大人よりも子どもの方がはるかに優れています。
ただ、子どもはまだ脳が未熟なため、思い方、やり方レベルで、それを人に伝えることができません。
5感覚と脳が発達すればするほど(大人になればなるほど)頭は固くなり「悟ってる人はいない」という一般常識に染まってしまうものです。
現実がゲームなんだ
ここ数年「人類はコンピューターシミュレーションの中で生きている」という話題がチラホラ出るようになりました。
イーロンマスクなども言ってましたよね。
この考え方に対し、おもしろい発想だっていう人はいますけど、心の底から信用してる人はほとんどいないです。
とは言え、これからはVR(バーチャルリアリティ)技術がどんどん進化し、ゲームの中と現実世界の境界線はどんどんなくなりますから、その方向性は確実でしょう。
nTech(認識技術)では、この現実はコンピューターシミュレーションだと言い切っています。
人間はすでに「5感覚と脳」というVRヘッドセットをつけています。
つまり、われわれは脳を通してこの現実画面を立ち上げているということ。
現実はまさに(比喩ではなくホントに)ゲームだということです。
この辺りのお話は、認識=存在(認識と存在はわけられない)として、こちらの記事にまとめています。
【nTechの理解】認識=存在(認識と存在はわけられない)われわれはゲームの中にいるアバターと同じです。
そう思うと、子どもがゲームに夢中になるって意義深いというか、未来の可能性につながる現象だと思うんです。
親の役割は、現実こそがゲームなんだとみずから悟ることです。
それが子どもの悟りレベルを下げないことにつながります。
まとめ
ここまでの話をまとめます。
- 問題はゲームではなくゲーム以外の日常がつまらないこと
- 日常がつまらない原因は ”親子関係” と ”学校教育” のあり方
- 親の価値観で子どもを制限しすぎないこと
- 子どもは確実に親よりも進化している
- 暗記教育がつまらないのは当然
- 学校教育は ”人間とはなにか?生きるとはなにか?現実とはなにか?” を教えるべき
- 問題解決能力よりも問題発見能力
- 悟りはゴールではなくスタート
- 現実こそがゲームである
以上、ゲームを通した学校教育の本質についてのお話でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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