【幸せの反動】楽しい時間は続かないのか?人間が不幸になる理由

こんにちは、みなみです。

きのうのコラムでは、息子とドライブに行った話を書きました。

↓ こちらです。

【幸せな時間】息子とドライブに行って楽しかった話

息子も一日中パパと遊べて楽しかったようで、夜、家に帰ってからも、その日のことを一生懸命ママに報告してました。(笑)

幸せの反動

その日はさすがに歩き疲れたので、わたしも息子も早めにふとんに入りました。

すると、さっきまで楽しげに話してた息子がわたしにこう言います。

息子

ねぇ、パパとママが死んじゃったら、その体ってどうしたらいいの? 土に埋めるの?

なぜ、遺体の処理方法を聞くのかわかりませんが(笑)少なくともパパとママが死んだらイヤだと思ってることはわかります。

むかしは土に埋めたけど、最近はみんな火で燃やしちゃうんだよ。

パパ

息子

燃やしちゃうなんてイヤだなぁ。パパとママにそんなことできないよ。
まだ死なないから、そんなこと考えなくていいんだよ。

パパ

息子

こんなに幸せなのに・・・

そんな風につぶやきます。

じつは以前にもこういうことはあって、記事にもしてますので、よかったらご覧ください。

↓ こちらです。

パパとママが死んだらどうしよう。不安がる子どもを安心させるには? パパとママが死んだらどうしよう。不安がる子どもを安心させるには?【結論:見える化】

さすがに最近は、このときのように泣くことはなくなりましたが、それでもたまに(とくに楽しいことの直後には)同じようなことを言います。

今回はその発展形で、具体的な遺体の処理方法にまで連想が及んだのでしょう(苦笑)

息子

パパとママとずっと一緒にいたい。

そう言えば、わたしも

そう言えば、わたしも小学生のころ、似たようなことを思ってました。

あれは、母とふたりで外食をしていたときです。

どこかの駅ナカの食堂みたいなところで、わたしはなにを食べたかわすれましたが、母はラーメンを食べていました。

その姿をみながら、わたしは、ふと、

いつか母は(父も)死んじゃうんだよなぁ。

と、思ったんです。

こうして一緒に居られる時間は限られてるんだって。

だから、この時間をしっかりと覚えておこう。

目に刻み込んでおこうって思ったんです。

そして、なぜか母の目の前にあるラーメンどんぶりの模様をじっと見つめたのを思い出します。(笑)

↓ こういうやつ

ラーメンどんぶりの絵

ラーメンどんぶりに意味はありませんけど、そのときの幸せな瞬間を切り取っておこうって思ったんですね。

楽しかった象徴として、一生、記憶しておこうって。

で、実際にそのことは今でもよく覚えています。(笑)

人間は不幸がベースになっている

人間って幸せであればあるほど、その幸せがなくなってしまうことを恐れる生き物かもしれません。

だとしたら、それって悲しいことですよね?

だって、基本的に不幸がベースにあるってことですから。

どれだけ幸せだったとしても、そのうち不幸は訪れるってこと。

人間にできることは、その不幸を別のなにかで誤魔化すことくらいです。

なんというか、それってこの地球上から戦争がなくならない理由と同じだと思うんですよね。

不幸になる理由は「脳の観点」

その後、大人になったわたしは、nTech(認識技術)と出会い、なぜ楽しい時間は続かないのか?

なぜ人間は不幸になってしまうのかを学びました。

今ならすぐに答えは出てきます。

答えは「脳の観点」です。

脳は、幸せなのか/不幸なのか、どっちか片方に固定しなければ認識できません。

幸せなのか、不幸なのか、人間(の脳)は因果に縛られているんですね。

一生、因果をくり返し、そこから抜け出せないんです。

因果の絵

逆に言うと、この因果こそが、人間の生きるエンジンではあるんですけど、それでも所詮、不幸を軸にしたエンジンなので、かならず対立の構図をつくり出します。

因果のなかに留まっていること自体が、じつはいちばんの不幸だってことに気づくべきです。

どれだけ幸せな人生を送れていたとしても、脳を基準に認識している限り、本質的には不幸なんです。

人間にとって、いちばん大切なことは、脳の観点(因果)にハマらないこと。

それが、ホントの意味での幸せです。

息子にはキホンなんでも自由にやってほしいですけど、その一点だけは「義」をもって伝えなければならないことだと思っています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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