こんにちは、みなみです。
小学1年生の息子は夏休みが終わり、本来なら今週から学校へ行く予定でした。
しかし、緊急事態宣言(新型コロナ)の延長にともない、学校の授業の一部が変更になりました。
なにやら、キホン午前中までで、午後は自宅に帰り、オンラインで授業するとのことです。
で、生徒にも、無理に通学させなくてよいとのことだったので、ウチの息子は休ませることにしました。
もうしばらく様子見です。
学校の授業より実践的な学びが必要
たしかに最近は、自分のまわりにもチラホラ感染する人が出てきたので心配だったんですよね。
だから、わたし的には、休ませることができてよかったです。
でも、もしかしたら、この状況は長引くかもしれないなぁ。。
もし仮に、これが来年まで、いや、もっと続くようだったら、学校の勉強は大丈夫かなぁ?
そんなことを考えるようになりました。
今、必要な学びはなにか?
ただ、よくよく考えると、今、学校で習ってることって「必要ではない」とは言いませんけど「必須ではない」と思いました。
たとえば、ウチの息子はまだ1年生なので、学校で漢字は習っていません。
でも、ある程度は、もう漢字の読み書きができるんです。
そう。YouTubeをしょっちゅう見てるから。(笑)
それどころか、たまに勝手にコメントしてることもあり(親としてはヒヤヒヤですが。。)意外にちゃんと交流してるんですよね。
漢字の変換もちゃんとできるし、リアクションが返ってくることを楽しんでいます。
結論、わたしは、今、息子に必要な学びは「文章を書く」ことだと思いました。
そして、できれば手書きではなく、TwitterのようなSNSで外の人へ発信すればいいと思いました。

毎日、日記の代わりにツイートする。
文字数も140文字くらいがシンプルでちょうどいいです。
少なくとも、学校の宿題よりはるかに楽しいし、実践的だと思うんです。
文章は表現のキホン
文章は、すべての表現のキホンです。
書くことで「構成力」「思考力」「表現力」などが自然に養われますし、それを他の分野に応用することもできます。
こういうのは音声や映像よりも、やはり文章なんですよ。
文章のように、ごまかしの効かない表現をくり返すことで、深い思考力は身につくんです。
つまり、きちんと「深く考える」クセをつけておけば、どんな教科であれ、勝手に学ぶようになるってこと。
もちろん、学ばない選択も含めて、自分で考えられるようになるでしょう。
わたしは、学校で暗記教育をする前に「深く考えられる自分」というアイデンティティ構築のほうが大事だと思いました。
暗記の優先度はめちゃ低い
毎日、文章を書いていれば、漢字なんて自然に覚えるし、読み書きもできるようになります。(息子はすでになっている)
算数なんて電卓を使えばいいし、理科や社会だって、ググればなんでも教えてくれる時代です。
今の時代は、暗記教育ってほとんど必要ないと思うんです。
もちろん、暗記を100%否定するわけではなく、あくまでも優先度の問題です。
それよりも、ネット環境をどう活用するのか、自分で考えて、調べて、表現する能力のほうが必要ですよ。
ホントは外に発信させたかった
それにTwitterのようなSNSで外の人へ発信するって、めちゃめちゃ大事なことだとわたしは思っています。
なぜならば、発信は「出会い」であり、出会いは「真理」だから。。
出会いがなければ、この世は成り立ちませんし、人生は出会いの連続です。
その練習を今のうちからしておくってすごくいいと思うんです。
息子も結構ノリ気だったし、YouTubeのコメントのようにきっと楽しいはず。。
これが実践的な学びの良さです。
とは言え、ウチの息子がいくらやりたいからと言って、世の中的にはどうなんだろう?
きっと、いろいろとリスクや制約はあるだろうと思いました。
結果、残念ながらTwitterをはじめ、各種SNSのほとんどは、規約的に13歳未満はダメでした。
ま、そこは仕方ないですよね。
たしかに、もし、ウチの子どもが「息子」ではなく「娘」だったとしたら、わたしもそこまでやらせようとは思わなかったかもしれません。
ホントは小学生でも安心して、遠慮なく社会へ発信できる世の中になるのがいちばんなんですけどね。。
今は、まだ仕方ないです。
というわけで、息子にはTwitterではなく、LINEもしくは、クローズドなアプリを使って、家族内で練習させることにしました。
それが、夏休み延長分の宿題の代わりです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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