こんにちは、みなみです。
みなさんは「絶望」って聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?
辞書をひくと「希望を失うこと」って書いてあります。
希望を失ってもう前に進む気力がないとか、悲しみのどん底みたいな。。
おそらくそんな感じですよね。
できれば一生、味わいたくない感情です。
でも、その一方で。。
わたしはこの「絶望」って必要なことなんじゃないかって思うことがよくあります。
「闇」が深ければ深いほど「光」が増すのと同じ。
「絶望」と「希望」って表裏一体だと思うんですよね。
実際に、ホントの希望って絶望を味わった人にしかわからないと思うんです。
その意味では、やはり必要なプロセスだなって思います。
もちろん感情としてはイヤですよ。
たとえば、去年の今頃(2020年5月)って、新型コロナウイルスで世の中の話題は持ちきりになっていました。(今でもまだ収まってませんけど)
世界は不安で満ちあふれていて、わたしもこの先どうなっちゃうんだろうって不安でした。
ただ、その一方で、この危機は必然なんだろうとも思いました。
ようするに、コロナのような未知のウイルスでも現れない限り、人間は変化しないってことです。
似たようなことはいつも考えます。
コロナで人類が壊滅的なことになってしまうのはイヤだけど、それくらいのショックがなければ人間は変わらないんじゃないか?
だから、いっそのこと、絶望的などん底に落ちてしまったほうがいいんじゃないのかって思うことすらあります。
だから、今の人類には「正しい絶望」が必要だと思うんです。
正しい絶望を得るためには、人間にとって決定的な限界を知る必要があります。
中途半端な限界しか知らないから中途半端な希望が生まれるわけで、もっと正しく絶望をすれば、これ以上ない希望が生まれるものです。
人間にとっての決定的な限界とは、脳機能の限界です。
脳機能の限界については、当ブログサイトの 認識カテゴリ 内の記事に書いてます。
絶望と希望についても、またおいおい記事にしていければと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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