【芸能人の死を利用?】ポジショントークが気持ち悪い理由

こんにちは、みなみです。

最近、ポジショントークという言葉をよく耳にするようになりました。

ポジショントークとは「自分の立場に有利な発言をする」ことを指し、あまり良いニュアンスでは使われない言葉です。

たしかに「この人、ポジショントークしてる」と思えたときって、なんか気持ち悪いですよね?

べつの立場になったら違うこと言うんじゃね?

とか、思えたり。。

ポジショントークなんて当たり前

とはいえ、日常生活でポジショントークをしない人なんていないです。

そもそも人はみんなバラバラな観点をもって生きています。

少なからず、自分に都合のいい発言をするなんて、べつにおかしな話じゃありません。

おそらく、それはみんなわかってるはず。

なのに、なぜ気持ち悪く思えてしまうんでしょう?

それはやはり「共感」が足りないから!だと思いました。

「愛」と言ってもいいですかね?

芸能人の死を利用する

たとえば、つい最近、芸能人が自ら命を絶ちました。

すると、そのことを題材にSNS等で発信する人が多く、まさにポジショントークだと感じました。

ふだんから発信している自分の主張を通したい、もしくは、数字を取りたいから芸能人の死を利用する。

それ自体は仕方ないことだと思うけど、当の本人のことなんてさほど考えていないという意図がみえたときに気持ち悪さを感じるんだと思います。

そもそもホントに共感していたら、そんな簡単に発信なんかできないはずです。

たとえば、自分がその芸能人の親だったとしたら、しばらくなにも発言できないでしょうからね。

愛と共感

もちろん、だからと言って、口を慎めと言いたいわけではありません。

自由な発言を制限することのほうがよくないことかもしれません。

でもやっぱり、最低限の「愛」と「共感」を忘れてはならないと言いたいだけ。

その人がどんな意志をもって「死」を選択したのか?

残された家族はどんな気持ちなのか?

つぎに生まれ変わったら、なにをしたいのか?

その意志を汲み取ってあげる努力をした上で発信するのが礼儀だと、わたしは思います。

本人の意志を無視した独りよがりの発信は、完全に逆効果です。

なので、特定の個人の死を題材にするときは、それ相応の準備なり、覚悟なりをもって発信するべきだと思い、ブログに書いておこうと思いました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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