【夫婦の歯車】7年間の冷たい歯車の記録

【夫婦の歯車】7年間の冷たい歯車の記録

こんにちは、みなみです。

今回は、夫婦のチャレンジにまつわる話として、おたがいの冷たい歯車がどう関係していたのか?

どんな風にかみ合っていたのかをまとめてみました。

ちなみに、夫婦のチャレンジについては、こちらの記事に書いています。

夫婦のコミュニケーションを変える。冷たい歯車から温かい歯車へ【3つのチャレンジ】 夫婦のコミュニケーションを変える。冷たい歯車から温かい歯車へ【3つのチャレンジ】

また、関連する記事は「夫婦カテゴリ」にまとめていますので、よければご覧ください。

7年間の冷たい歯車の記録

わたしたち夫婦は、7年前に子どもが生まれてから、じょじょに会話の量が減っていきました。

7年間、歯車はまわり続け、その冷たい関係性はどんどん強固になっていったんです。

夫婦の特徴

まず、わたしたち夫婦の特徴は、直接ケンカしないところです。

それどころか、相手に確認したり、相談したりすることもあまりなく、それぞれの思い込みの中にハマりやすいパターンをもっています。(とくにわたしは。。)

おたがいに心の中で「怒り」や「あきらめ」の感情をためこんで、それぞれのやりかたで限界を突破しようとしていました。

だから、一見、わかりづらいんですよね。(苦笑)

はたからみたら、ごく普通の夫婦にみえていたと思います。

ちなみに、それぞれの特徴については、こちらの記事にまとめています。

【夫婦の歯車】夫(わたし)はどんなエンジンで動いてるのか? 【夫婦の歯車】夫(わたし)はどんなエンジンで動いているのか? 【夫婦の歯車】妻はどんなエンジンで動いてるのか? 【夫婦の歯車】妻はどんなエンジンで動いているのか?

代表的な思い込みパターン

7年間の冷たい歯車は、おたがいに 「〇〇な相手だ」 という勝手な決めつけ(思い込み)をくり返していました。

その代表的なパターンは、以下2つ。

  1. 会話ができない相手だ
  2. 無関心な相手だ

そして、これらの思い込みは、次第に強烈な「あきらめ」へと変化します。

では、具体的にどのように変化していったのか?

夫婦の認識画面をそれぞれみていきたいと思います。

会話ができない相手

代表的なパターンのひとつ目は、おたがいに会話ができない相手だと思っていたことです。

夫の認識画面

わたし(夫)は妻のことをすぐ反論してくる相手だと思ってました。

もっとおおげさに言うと、わたしがなにを言っても口答えしてくる存在です。

たとえば、わたしがなにげなく言ったことに対して、第一声はかならず「でもさぁ」「なんで?」でした。

その否定的なニュアンスの「言葉」と「間合い」にわたしはイライラします。

イライラしている夫のイラスト

でも、そこでケンカすることはなく、わたしは。。

もう話したくない!話さなきゃよかった。

という思いを蓄積します。

わたしは、わたしなりにがんばって話そうとしていたんです。

でも、話せば話すほど「もう話さない」という決断が強固になっていきました。

キャッチボールでたとえるなら、ボールを投げても受け取ってもらえずに、いきなりバットで打ち返されるような感じです。(しかも、ボールはこっちに返ってこない)

妻はボールを打ち返すことばかりに気をとられ、わたしの言葉を受け取ろうとはしていない。

わたしの意志が無視されているようで、腹立たしかったんです。

妻の認識画面

一方、妻は、とくに反論や口答えをするつもりはなかったそうです。

だから、妻からしたら、ごく普通に反応したのに、なぜか夫を不機嫌にさせてしまったってことになるでしょう。

疑問に感じてる妻のイラスト

しかも、その理由をわたしは妻に言いませんから(苦笑)なおさらモンモンとするでしょうね。

そうして、わたしはどんどん妻を無視するようになるので、当然、妻は「この人とは会話ができない」って思ってしまうようになります。

わたしは「おはよう」も「ありがとう」も「ごちそうさま」も言いませんから。。(苦笑)

妻はそのたびに「この人はわたしに無関心だ」という思いを蓄積していました。

無関心な相手

ふたつ目のパターンは、おたがいに無関心な相手だと思っていたことです。

夫の認識画面

わたしは、妻に、もっと関心をもってほしい(こっちをみてほしい)と思っていました。

たとえば、わたしは7歳の息子とよく遊びに行きます。

休みの日には、近くの温泉に行ったり、たまにクルマを借りて遠出したり。。

息子とはホントにいろんなところに行き、楽しい思い出がいっぱいあります。

しかし、そこに妻がくることはほとんどありませんでした。

妻には、妻のやりたいことがあり、わたしと息子には関心がないようにみえました。

やりたいことに集中する妻のイラスト

わたしは不満でした。

ただ、ここでもわたしは妻にその気持ちを言いません。(苦笑)

「一緒に来る?」と確認はしても「一緒に来てほしい」ってお願いはしないんです。

おそらく、お願いすれば解決する問題なんですけどね。

でも、言われなきゃ気づかないなんてニセモノの意志だろって、わたしは思ってしまうんです。

妻の認識画面

一方、興味深いのは、妻もまったく同じことを思っていたことです。

妻は、わたしが「息子とふたりで行きたがってる」と思い込んでいたようで、じつはさみしい思いを蓄積していたんです。

わたしに「一緒に来る?」と聞かれても、勝手な思い込みによって遠慮していたわけですね。

つまり、わたしも妻も、相手のことを無関心だって思ってたけど、実際は真逆だったってこと。

おもしろいですよね。(笑)

ふたりの関係性がよければ、ちょっと確認すれば解決するようなことですよ。

それが知らず知らずのうちに、まるでゆでガエルのように確認すらできない(したくない)状態に変わってしまうんです。

ゆでガエルのイラスト

こうなってしまうと、ふたりだけでは修復不可能です。

ゆでガエル現象は、ホントに怖いですよ。

唯一ぶつかった事件

ふだんは直接ケンカしないわたしたちが、唯一ぶつかった事件があります。

あれは息子がまだ3歳のときでした。

簡単に言うと、わたしが妻を殴ったんですね。

こまかい経緯は忘れましたけど、3人で夕食をしてるときに、妻から「今度の週末、子守りをお願いしたい」みたいなことをお願いされたんです。

わたしにとって息子はかわいくて仕方のない存在で、子守りをすること自体にはなんの問題もありません。

でも、妻からお願いされることがイヤでたまりませんでした。(しかも毎度毎度のことです)

なぜ、この人はわたしの気持ちがわかんないんだろう?

妻の眼中には、いつもわたしの存在がありません。

心の眼はいつもどこか別の方向をみていました。

で、いつもなら、無視して自分の部屋に引きこもって終わるんですけど、そのときは妻が追い打ちをかけるようなことを2つ、3つ言ってきたんです。

そして、わたしは逃げ場がなくなり手を出しました。

そのときの子どもの泣き顔(すごく怯えていた)は、今でも忘れておらず、もう二度と同じことはしないって決断しました。

でも、あのとき、もし子どもの泣き顔をみていなかったら、どうなっていたんだろう?

それを考えると自分でも怖いです。

↓ その後、自室に戻り、壁にパンチした穴

壁の穴の写真

オールゼロ化によるギアチェンジ

とにもかくにも、わたしたち夫婦は、nTech(認識技術)リアライゼーションプログラムによって、冷たい歯車から温かい歯車へとギアチェンジできました。

そのポイントは、なんと言ってもオールゼロ化です。

認識画面を消す

目の前にひろがるこの現実は、すべて自分の認識画面です。

原理的には、どんな現象が起きようとも、すべては自分がつくってるもの。

100%自分と関係していて、100%自分の責任です。

脳科学的にも

視覚的にみても、人間の脳(5感覚)は、光(可視光線)をインプットして、脳の認識のクセを働かせることによって「色、輪郭、形、奥行、動き」のイメージを脳内でつくり出しています。

たとえば、そのイメージがリンゴだった場合はこんな感じ。

視覚のメカニズムの絵

わたしたちは、目の前にリンゴが「ある」と思い込んでいます。

でも、そのリンゴは実在していません。

リンゴはわたしたちの脳内でつくられ、あるっぽくみえてるだけだからです。(視覚以外の他の4感覚についても同じ原理)

つまり、目の前にひろがるこの現実は、まさに100%自分が生み出したもの。

「ムカつく相手」も「愛しい相手」も「怒り」や「あきらめ」の感情も、すべて脳の認識のクセ(観点)によって、つくられてるってことです。

補足
脳の認識のクセは、nTech(認識技術)開発者のNohJesu(ノジェス)氏によって、発見(定義)されたものです。

生きたまま死ぬ時代

すべては自分がつくり出してる脳の認識だから。。

オールゼロ化の第一歩は、自分の認識画面を消すことです。

つまり、一旦「死ぬ」ってことですね。

もちろん「自殺」って意味じゃないですよ。(笑)

nTech(認識技術)を活用し「生きたまま死ぬ」ことが、今の時代にもっとも必要なスキルであり、ギアチェンジの最大のポイントです。

これが個人の悟りの完成であり、これからの時代、すなわち、関係性(組織)の悟りのスタートラインです。

人間は同じ画面をみていない

人間はだれ一人として、同じ認識画面をみていません。

たとえ、同じリンゴを一緒にみていたとしても、それは人間共通の脳機能によって似かよってみえてるだけ。

厳密には、みんなバラバラのリンゴを脳内につくり出してるんです。

これは、5感覚脳というVRメガネをかけてるのと同じです。

VRメガネをかけてる夫婦のイラスト

つまり、みんな勝手な思い込みの中で生きてるってことですね。

バラバラな認識画面の中、勝手な思い込みの中で、かろうじて意思疎通してる(ように思い込んでる)のが人間の現在地です。

人間は、1分1秒たりとも同じ画面をみたことがありません。

このポイントはめちゃめちゃ重要ですよ。

ここをしっかりおさえておかなければ、夫婦の変革なんてムリです。(断言)

具体的にどう変わるのか?

オールゼロ化によって、夫婦の関係性は具体的にどう変わるんでしょうか?

まず、キホン、元の状態(関係性)には戻らなくなります。

もちろん、脳の認識は手強いので、その瞬間は「怒り」や「あきらめ」が出ることはあります。(だから、脳に負けない意識はつねに必要)

でも、不思議とすぐに消えていくんですよね。

ふつう人間の脳って、他のことに集中してイヤな感情をごまかすことはできても、ストレートにゼロ化することってできないんですよね。

この感覚は今までにない感覚です。

再創造する

そして、たとえ「怒り」や「あきらめ」の感情が出たとしても、その感情を利用して、逆に再創造しようって発想が生まれやすくなります。

だって、すべてをゼロ化(破壊)したら、あとは創造するだけじゃないですか?

弓矢を目いっぱい後ろに引いたら、あとは手放すだけで勝手に矢は前へ飛んでいきますよね。

それと同じです。

自然に「創造したい」「発信したい」「行動したい」っていう意志そのものに変化します。

そうなると、夫婦でいろんなことにチャレンジできるようになるので、かなり安定します。

最後に

世の中には、わたしたちのように、冷たい歯車が固定化してしまってる夫婦は多いと思います。

もちろん、ケンカしたり、無視したり、DVに発展したり、夫婦によってうまくいかない現象はさまざまでしょう。

ただ、その問題の根本は、すべて脳の認識にあります。

つまり、一個人や夫婦の問題ではなく、人間共通の問題だってことですね。

まさに、アインシュタインが残した言葉と同じ。

いかなる問題も、それをつくり出した同じ意識によって解決することはできません。

認識の次元が変わることで、問題意識の次元が変わり、関係性の次元も変わります。

わたしたち夫婦は、同じように悩んでる夫婦に、認識の変化を提案したいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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